負け犬の遠吠え ~パチンコとの出会い~
それは高校を卒業してから大学に入学するまでの春休みだった。
「お前ももう大学生か。ちょっとくらい遊びも覚えとかなな」
「いや、ええよ。パチンコなんて。」
「1回は経験しとかなあかん」
のようなやり取りで渋々彼は父についていった。
結果は、父に選んでもらったモンスターハウス(多分)で12万円勝ち。嬉しさより怖かったのを覚えている。楽しさもイマイチ分からず、そのあとはしばらくパチンコ屋には行かなかった。
大学4年生になり、就職も決まり、することがなかった。大学へは片道2時間弱かかっていたので途中の三宮で下車して街をブラブラすることもあった。
ある日、駅前のパチンコ屋をみて父と行った事を思い出し、ふらっと入ってみた。打ったのはスロット、ピカ吾郎。額は忘れたが、勝った。今回は少し嬉しかった。
それから、暇な時はパチンコ屋に入っていた。負けることが多かったが、そんなにアルバイトをしている訳でもなく、お金もなかったので、程々だった(と思う)。
大学時代は、恋人もいて、部活(体育会)の仲間もいて、飲みに行ったり、少しお洒落もしていたので、パチンコはほんとに暇つぶしだった。それが暇つぶしではなくなったのが、社会人になってからである。
今まで、スポーツも、勉強も、そんなに努力しなくても人並み以上に出来ていた。親も、先生も、近所のおばさん連中からも、「できた息子」として見られていたし、扱われてきた。彼自身も自覚していたし、将来は、会社で重要なポジションを与えられバリバリ仕事をこなす、家庭も円満で親孝行もしたい。漠然だが、そんな自分を想像していた。
彼は地元の金融機関に就職した。筆記試験の最中に、試験官から声がかかりそのまま理事長と面接・採用になった。VIP待遇であった。大学名だけで採用されたのだろう。ただ、当時の彼は自分の実力だと錯覚していた。
「社会人なんて楽勝やん(笑)」
兄が毎日ヨレヨレのスーツで毎晩遅くまで仕事をしているのを、能力がないからそんな仕事しか出来ないのだと本気で思っていた。
ただ、彼は大事な事を忘れていた。数字が苦手である事を…
就職して、最初の数ヶ月は研修で、同期達とも打ち解け、飲みに行ったりもした。研修が終わり、配属先は、従業員10人位の小さな店舗だった。彼以外の男は皆30以上で、なんか雰囲気が暗い店だなと感じた。
彼を指導してくれたのは、高卒2年目の女性だった。テキパキ仕事をするタイプだったが、とても優しい人だった。彼の仕事は、窓口で受け付けた入出金の後方処理係で、主にパソコンを使っての仕事であった。
彼はパソコンが出来なかった。しかも、覚える内容が膨大で、配属初日から気持ちが重たくなり、ひと月も経たないうちに辞めたくなった。
幸か不幸か、会社の帰り道にパチンコ屋があった為、仕事のストレスを解消するためにパチンコに逃げるようになった。休みの日は、大阪にいる彼女と遊んでいたが、それ以外はずっとパチンコをしていた。
結局、半年ほどで仕事を辞めた。鬱のような状態になっていた彼を両親が見かねて辞めてもいいよと後押しをしてくれた。
ひと月程家で引きこもりの様な感じであったが、だんだん身体が動くようになり、食品工場でアルバイトを始めた。お金がある時は仕事終わりにパチンコをしていた。
25になり、契約社員ではあるが、障害者介護施設に就職が決まった。仕事は楽しく、同年代の仲間も沢山いて、給料は安いものの、充実していた。だがパチンコには以前よりよく行っていた。この頃から給料の殆どをパチンコで使うことも出てきて、足りない分は母親に無心していた。小言を言いながらもお金をくれていた母は、彼のことをどう思っていたのだろう。もう亡くなってしまったので聞くことは出来ないが…
この頃は、パチンコに行きたくても行けない時は、少しソワソワ落ち着きがなかった。依存症である。