スロットで月間プラス収支を目指すおっさんの奮闘日記

アラフォー 期間工 借金etc 悩み、もがき、追い詰められながらもそれなりに日々を楽しんで生きているおっさんです。日常の様々な事を記事にしています。2019年7月にフル満了で神戸市に帰ってきて、今は介護施設で働いています。

負け犬の遠吠え ~崩壊~

健二はしばらく会社を休む事になった。

 

やめたかったが、それは言い出せなかった。

家族を持ち、人並み以下ではあるが出てきた責任感によるものか、さやかの反対を押し切って入った会社なので、その事に対するプライドからなのか、兎に角辞めるとは言い出せなかった。

 

 

数日後、会社の人が自宅に来た。健二を会社に誘ってくれた人だ。やや軽い感じの人だが、面倒見は良く、嫌いではなかった。

 

部署移動の話で、暫くデイサービスセンターで働いてはどうかと言う事だった。

 

デイサービスは、昼間だけの仕事で、以前もした事があったので、異動させてもらうことにした。

 

2週間程休み、新しい部署で再スタートする事になった。同じグループ内ではあるが、本体の老人ホームからは少し離れた所にあるので、雰囲気が違うというのが第一印象だった。

 

かなりいい加減な職場であった。ほぼ毎日誰かが遅刻してくる。スウェットみたいな格好で皆仕事をしている。仕事中はタバコ吸い放題。若い管理者は事務所のパソコンで遊んでいる。また、家に帰るのが面倒なのか、週に何回か事務所で寝泊まりしている。いい人なのだが、職権乱用が酷く、王様みたいに振舞っている…

 

健二が以前任されていたデイサービスとは全然違ったので、最初は戸惑ったが、慣れてくると健二も楽な方に流されて行った。

 

遅刻が増えていき(皆しているので何も言われない)、仕事中のタバコも増えた。

 

と同時に、いつも心がモヤモヤしているような感じで、次第に眠れなくなってきた。鬱病の様な症状である。さやかはよく寝ていると言っているが、健二にはそんな感覚はなかった。1時間毎に目が覚め、常に夢を見ている様な感覚だった。それでいて、日の出位の時間になると強烈な睡魔が襲ってくる。

 

 

ボーッとした頭で子どもを着替えさせ、保育園に行く準備をして、3人一緒に家を出るのだが、段々と苦痛になってきた。兎に角睡魔が強いのである。徐々に朝の準備はさやかに負担がかかっていき、健二は自分の事で精一杯になった。さやかがイライラしているのが伝わってくるが、不甲斐ないがどうにもならない。

 

そんな生活が暫く続き、デイサービスでの仕事も1年になった頃、地域包括支援センターという所への異動を打診された。地域包括支援センターとは、地域の高齢者やその家族が介護で困った時に相談する窓口で、そこの職員は、相談に来た人を介護保険サービスに繋げたり、繋げたあとも、安心して暮らしているかや、新たな困り事はないかなど、フォローするのが主な仕事内容である。事務職であり、健二にとっては初めての仕事であった。

 

いずれはこういう仕事がしたい…

 

以前から健二はそう思っていた。自分が持っている国家資格も役立つ。

 

『やりたいです。』

 

即答したかったが、出来なかった。

 

今のメンタルで、果たして新しい仕事にチャレンジできるのか?ここで失敗したら終わりかも知れない…ただ、このチャンスを活かしたい。自分を変えたい…

 

かなり悩んだが、『職場の人がちゃんとフォローしてくれるから』という一言を信じ、賭けに出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

一月後、健二は正式に期限未定で休職した。

 

初日、自分の机とパソコンが用意されていた。この会社で初めての事だった。

 

だが、それだけだった。

 

放置プレイ…

 

色々聞いても、面倒くさそうに答えられ、ほぼ一日職場にあるパンフレットを眺める事で、仕事は終わった。

 

苦痛だった。

 

毎日パンフレットを眺めながら過ごし、相談者が来ても何をして良いのか分からず、オロオロしていた。

 

おまけに夜は眠れない…

 

一月経っても状況は変わらず、自分から所長に言って休むことにした。

 

またさやかに相談せずに勝手に決めた。

 

だが、兎に角帰って眠りたかった。

 

自宅には、健二が帰る前に会社からさやかに連絡が行っていた様で、かなり不機嫌な表情のさやかと、産まれたばかりの子どもがいた。

 

昨年、2人目が誕生し、家族が増えたのである。また、それに合わせて中古だがマンションと新車のミニバンも購入した。そんな時に大黒柱がこの有様なので、さやかが不機嫌になるのは、健二の足りない頭でも理解できた。だが、メンタルがボロボロで、自分の事以外は考えられなくなっていた。

 

健二は心療内科に通い始めた。睡眠薬や安定剤を服用し始めて、気分は少し楽になったが、睡眠状態は悪化し、日中寝て過ごし、夜間は部分睡眠という状態になり、ほぼ一日パジャマで過ごしていた。

 

子どもとは家の中で遊ぶが、さやかとはギクシャクしていた。見ていられなかったのだろう。

 

数ヶ月位そんな生活が続いたが、ある日から家族で色んな所に行くようになった。車の運転はほぼさやかで、健二は寝ていることが多かったが、時々運転を代わったりもしていた。

 

あの時は気づかなかったが、さやかが子ども達に、思い出を作っていたのだろう。

 

 

「離婚しようか。」

 

突然(健二にとっては)言われた。まだ肌寒い初春の夕方だった。

 

『わかった』

「じゃあ今から子どもを連れて実家に帰るわ」

『わかった』

「車は暫く貸して。後で返すから」

『いやや。帰るなら電車で帰れ』

 

こんなやり取りだったと思う。

結局、健二が車で送り、さやかの両親と少し話した後、健二のみ自宅に帰った。

 

上の子どもは状況を把握していた様で、健二を引き留めようとしてくれたが、最後に抱きしめて別れた。あの時の温もりを健二は今も覚えている。

 

 

 

「終わった…」

 

自宅に帰り、健二は呟いた後、深い眠りについた。その日は朝までぐっすり眠れた。