負け犬の遠吠え ~崩壊~
健二はしばらく会社を休む事になった。
やめたかったが、それは言い出せなかった。
家族を持ち、人並み以下ではあるが出てきた責任感によるものか、さやかの反対を押し切って入った会社なので、その事に対するプライドからなのか、兎に角辞めるとは言い出せなかった。
数日後、会社の人が自宅に来た。健二を会社に誘ってくれた人だ。やや軽い感じの人だが、面倒見は良く、嫌いではなかった。
部署移動の話で、暫くデイサービスセンターで働いてはどうかと言う事だった。
デイサービスは、昼間だけの仕事で、以前もした事があったので、異動させてもらうことにした。
2週間程休み、新しい部署で再スタートする事になった。同じグループ内ではあるが、本体の老人ホームからは少し離れた所にあるので、雰囲気が違うというのが第一印象だった。
かなりいい加減な職場であった。ほぼ毎日誰かが遅刻してくる。スウェットみたいな格好で皆仕事をしている。仕事中はタバコ吸い放題。若い管理者は事務所のパソコンで遊んでいる。また、家に帰るのが面倒なのか、週に何回か事務所で寝泊まりしている。いい人なのだが、職権乱用が酷く、王様みたいに振舞っている…
健二が以前任されていたデイサービスとは全然違ったので、最初は戸惑ったが、慣れてくると健二も楽な方に流されて行った。
遅刻が増えていき(皆しているので何も言われない)、仕事中のタバコも増えた。
と同時に、いつも心がモヤモヤしているような感じで、次第に眠れなくなってきた。鬱病の様な症状である。さやかはよく寝ていると言っているが、健二にはそんな感覚はなかった。1時間毎に目が覚め、常に夢を見ている様な感覚だった。それでいて、日の出位の時間になると強烈な睡魔が襲ってくる。
ボーッとした頭で子どもを着替えさせ、保育園に行く準備をして、3人一緒に家を出るのだが、段々と苦痛になってきた。兎に角睡魔が強いのである。徐々に朝の準備はさやかに負担がかかっていき、健二は自分の事で精一杯になった。さやかがイライラしているのが伝わってくるが、不甲斐ないがどうにもならない。
そんな生活が暫く続き、デイサービスでの仕事も1年になった頃、地域包括支援センターという所への異動を打診された。地域包括支援センターとは、地域の高齢者やその家族が介護で困った時に相談する窓口で、そこの職員は、相談に来た人を介護保険サービスに繋げたり、繋げたあとも、安心して暮らしているかや、新たな困り事はないかなど、フォローするのが主な仕事内容である。事務職であり、健二にとっては初めての仕事であった。
いずれはこういう仕事がしたい…
以前から健二はそう思っていた。自分が持っている国家資格も役立つ。
『やりたいです。』
即答したかったが、出来なかった。
今のメンタルで、果たして新しい仕事にチャレンジできるのか?ここで失敗したら終わりかも知れない…ただ、このチャンスを活かしたい。自分を変えたい…
かなり悩んだが、『職場の人がちゃんとフォローしてくれるから』という一言を信じ、賭けに出た。
一月後、健二は正式に期限未定で休職した。
初日、自分の机とパソコンが用意されていた。この会社で初めての事だった。
だが、それだけだった。
放置プレイ…
色々聞いても、面倒くさそうに答えられ、ほぼ一日職場にあるパンフレットを眺める事で、仕事は終わった。
苦痛だった。
毎日パンフレットを眺めながら過ごし、相談者が来ても何をして良いのか分からず、オロオロしていた。
おまけに夜は眠れない…
一月経っても状況は変わらず、自分から所長に言って休むことにした。
またさやかに相談せずに勝手に決めた。
だが、兎に角帰って眠りたかった。
自宅には、健二が帰る前に会社からさやかに連絡が行っていた様で、かなり不機嫌な表情のさやかと、産まれたばかりの子どもがいた。
昨年、2人目が誕生し、家族が増えたのである。また、それに合わせて中古だがマンションと新車のミニバンも購入した。そんな時に大黒柱がこの有様なので、さやかが不機嫌になるのは、健二の足りない頭でも理解できた。だが、メンタルがボロボロで、自分の事以外は考えられなくなっていた。
健二は心療内科に通い始めた。睡眠薬や安定剤を服用し始めて、気分は少し楽になったが、睡眠状態は悪化し、日中寝て過ごし、夜間は部分睡眠という状態になり、ほぼ一日パジャマで過ごしていた。
子どもとは家の中で遊ぶが、さやかとはギクシャクしていた。見ていられなかったのだろう。
数ヶ月位そんな生活が続いたが、ある日から家族で色んな所に行くようになった。車の運転はほぼさやかで、健二は寝ていることが多かったが、時々運転を代わったりもしていた。
あの時は気づかなかったが、さやかが子ども達に、思い出を作っていたのだろう。
「離婚しようか。」
突然(健二にとっては)言われた。まだ肌寒い初春の夕方だった。
『わかった』
「じゃあ今から子どもを連れて実家に帰るわ」
『わかった』
「車は暫く貸して。後で返すから」
『いやや。帰るなら電車で帰れ』
こんなやり取りだったと思う。
結局、健二が車で送り、さやかの両親と少し話した後、健二のみ自宅に帰った。
上の子どもは状況を把握していた様で、健二を引き留めようとしてくれたが、最後に抱きしめて別れた。あの時の温もりを健二は今も覚えている。
「終わった…」
自宅に帰り、健二は呟いた後、深い眠りについた。その日は朝までぐっすり眠れた。